報道というもの

 残忍な殺人事件がよく起こってるらしい。白昼に堂々と、公衆の面前での殺戮。まぁ、確かに特異的な事件ではある。その事件の原因を、社会構造やら、ネットとかに結びつける昨今の風潮は違和感を覚える。っていうか、昔から残忍な事件、凶悪な犯行はあった。むしろ、今より多かった。かわったのは、トピックとしての価値だけ。たぶん昔は世間全体的に、社会成長に必死だったから、凶悪事件が起こっても、社会の特異なspotとして看過していただけだ。今は、ただたんに、そういった事件をむごたらしく報道でもしなくては社会が騒ぎ立ててくれなくなっただけなのではないだろうか。
 あともう一つ、不快なのが、被害者に対する報道。被害者に対するプライバシーとか、まぁ、そこら辺はどうでもいいんだけど、あの被害にあって死んだ人がどれだけすばらしい人だったかとか言う報道はどうなんだろう。やれとても明るくて、誰にでも優しくて、将来有望であったのに・・・とか言う報道。これ止めてはくれないだろうか。じゃあ、もしちょっと性格暗くて、ちょっときつい性格で、二ートで年金も払えてないような人は、どう報道されちゃうの。被害者が女性であれば、容姿がきれいか、醜形かでその事件に対する社会としての扱いは変わるのかい。
 どれだけ、無駄なところに報道の焦点を当てれば気が済むのだろうか。どれだけ、今の報道というのは暇なのだろうか。